2年半ぶりになにわ男子に会えた日の話

 

 


 お気持ち表明のときははてなブログを使うといいとじっちゃんが言ってたので、一オタクのぶつけどころないバカデカ感情をこちらにて壁打ち放置させていただきますご容赦くださいませ…。帰りの新幹線が手持ち無沙汰なのをいいことに一番搾りを片手に本日のお気持ちをいい気分で綴らせていただきます、、。

 

 

 


 なにわ男子、生きてた〜〜〜(涙)


 本当にずっと可愛くてずっと可憐でずっとキラキラで丸ごと大好きななにわ男子だった。ずっとずっと会える日を待ってた…。最後にコンサート行ったの、関ジュの京セラコンだったの。京セラ関ジュコンから2年半、長かったな〜〜(勝たんコン丈一郎の挨拶の顔)それまで毎月のように東京大阪名古屋と現場に奔走していたわたし、まさかこんな日々が来るなんて一切想像してなかった。あの日京セラドームで成人式を挙げた自担はもう22歳だし、高校生だった道長は20歳になるし、なにわ男子はデビューしたし、boys beもAmbitiousもできた。完全に私事なところだと仕事でメンタルを崩したこともあり、これが禍じゃなくて自由に現場に行ける世の中だったら、もっと前向きに違ったのだろうか…と悩んだこともあった。なにわ男子のデビューも禍も期待が膨らんでは立ち消えの連続だったから、期待したりワクワクした分だけ落ち込むのが辛くて期待をすることもかなり減っていて、地域柄県外に出ることもままならず、有事の際に村八分にされるプレッシャーに怯えながら、何が楽しくて何のために働いて生活してるのか、オタクをするモチベーションも一切見つけられなくなったまま、遠巻きになにわ男子のことを見守らせていただいていた。それでも衣食住にある程度困らない今の生活は恵まれているんだろうけれど、コンサートに何度も行けた頃の爆発的な高揚感とかときめきとかそう言うものはどこかに置いてきてしまっていた気がする。


 本当は代々木公演に参加する予定だったのが止むを得ず延期になり、もう何度目か、また大きな期待が萎んでしまい、もしかしてわたしはこのまま一生コンサートに行かないまま終わるのではないか…?みたいな不安さえ抱いた。この一週間毎日毎日祈るように「弊社所属タレントに関するお知らせ」がきていないかをチェックしてた。今度こそ今度こそ、何度目の正直かわからないけど。いよいよ今日を迎えられて、それでも電車が止まったら、とか、メンバー7人のうち5人感染したらどうするんだろう?とか、いろんな敵と不安と戦いながらこの日を迎えられたこと、本当に当たり前じゃないんだよ…と言う気持ちとともに臨ませていただいたコンサート。以下、本日の私の思い出たちと共に、久しぶりのコンサートでだいぶ記憶力も動体視力も衰えているけれども、自分用に残しておきたいメモも込みで中身のネタバレを綴らせていただきますので悪しからず…。

 

 朝、遠足前キッズのわたしはアラームより少し早く目が覚める。ちょっと睡眠を欠くとダイレクトに体調が崩れることを自覚してきた年齢なので早めにベッドに潜ったけれども、結局夜中何度か目覚めてしまった。朝のコチラの天気は曇天。数日前まで命に関わるような暑さが続いていたと思えば過ごしやすさの点では満点。何かにつけて物理的に嵐を巻き起こすなにわ男子の皆さんにおかれましては曇天なら上出来といったところ(?)。顔を洗って歯を磨いて、この日のためにルミネ中歩いて悩みに悩んだスカートに足を通す、と思ったらまだ値札ついてた危ない危ない。Twitterで汗に強いと調べて買ったコスメたちでどうにかこうにかお顔を作る。会社に行く時の化粧は10分で終わるのに2倍も3倍も時間がかかるのだから不思議。いつだかに買ったCHANELのルージュココフラッシュ82番「LIVE」を乗せたら完成。お世辞なりに伊勢丹のお姉さんが「お似合いです〜!」と褒めてくれたリップ。短すぎるまつげと跳ねたくる髪の毛と格闘してたら早く起きたはずなのに案外時間が足りないことに気がつくあるある。お気に入りの香水を振りたくって、先日仕上げたネイルを見ながらにこにこして、忘れ物がないか指差し呼称する老いぼれ。窓閉めた、エアコン消した、コンセント抜いた………ヨシ。そしてまたこの日のためにと用意した靴を履いて、昼間の間家を開けるだけなのにあたかも何泊もしてくるかのような覚悟の気持ちで家の鍵を閉めた。朝早くからすみません〜と思いながらアパートの階段をどすどすと駆け降りる。土曜のこの時間とも慣れば流石にあちこち空いていて気持ちいい。いよいよ出発


 東京駅について、朝ご飯にサンドイッチとレモネードを買って朝からビタミンCをぶち込む(ただ最近レモネードにハマっているだけ)レジ脇に売っていたチョコブラウニーが美味しそうだなと思ってヒョイと買ってきたら一つ500kcalと書いてあって白目剥きながら今日はまあ無礼講しな…と思って美味しくいただいた。新幹線乗り場で『乙女の祈り』を聞くたびに、小学校の頃通ってたピアノ教室でこの曲大好きだったのに短い指がオクターブ届かずに諦めた切ない記憶を思い出す(どうでもいい)東京駅で既に同志のオタクを何人か見かけたし、新幹線の車内でも後ろからボソッと「初心LOVE」と聞こえて多分これも同志、日本経済を動かしてるな〜〜と言う感慨を感じるなにわ男子はすごい。

 


 オタクだらけの名古屋駅!オタクだらけの電車!いつになったら笠寺駅はガイシのために大きく改修するんだろう……と思いながらガイシまでのオタクロードを歩く。席で久しぶりに取り出した双眼鏡に松竹座でもらった日付シールがそのままに貼られていてH30と書かれていたのでしみじみとしてしまった。開演までのこのソワソワとドキドキとどうしたらいいかわからない時間の感覚も久しぶりで、暑くもないのに無駄に手汗をかいた。あ〜本当に私、もうすぐなにわ男子に会えるのかな、と思ったら本当に不思議な気持ちだった。

 

 飛行機の機内の映像からスタート、西畑大西道枝長尾恭平丈大橋の順で名前紹介、7人の服が衣装に変わって機内から出ていくシーンで映像が終わり、メンステのモニターが割れて飛行機の頭が出てくる。デビュー会見を彷彿とさせる演出。降りてきた階段からショッキングピンクスパンコール衣装のなにわ男子さんが登場して初心LOVE→Dreamin' Dreamin'→僕らのI LOVE YOU →バクステでNANIWA'n WAY→センステでstarting Bell。


 指名手配犯的な映像。それぞれ肩書きがあるんだけど髙橋恭平さんにつけられた「ナナちゃん人形の隣を歩けば振り返らない女性はいない!!世の中の女性は俺の女性」みたいなやつが好きすぎてブチ上がった。いいよー!!そう言うとこ大好きだよ!!!そこからベージュベース、チョコレート垂らしましたみたいな綺麗且つ可愛い感じの衣装なんだけど、高橋恭平さんにベルボトム履かせた人だれですか!!?!?令和にあんなにベルボトム似合う人いる!!?!?!!?お尻から太ももが少しキュッとしててほっっそい脚のラインが見えるのに膝から下が広がっていることに未知のセクシーさを感じた新たな発見だったので高橋恭平さんにはもっと積極的にベルボトムを履いてほしい。「君だけを逃さない」の椅子あり演出、きょへだいでシンメ立ち位置あったのだいぶ興奮したし、後半でメンステからセンス的移動する時の先頭が恭平ちゃんでそれこそ会場全員俺の女…みたいな良さを感じてだいぶ滾ったありがとうございますご馳走様でした。NANDE!?は歌も好きだったけどパフォーマンスも込みで好きになってしまったな。あのフレジュみたいなシャカリキダンス。


 このあとアオハル夢子〜社会人ver.〜みたいな夢映像挟んだんですけど、歯磨き西畑さんはいい加減にしてほしいし、大橋くんはただの寮母さんだった。バスローブ来た高橋恭平さんは相変わらずサイコーで一生そのままでいてほしい。


 サチアレ以降はシングル衣装で出てきてくれるんだけど、暑いのかなんなのか高橋恭平さん長袖の衣装腕まくりして出てきてそれは〜〜!!!反則技のやつなんですよ〜!!わたしが肘から下のラインに興奮してしまうオタクなの知ってたんですか?そうですかありがとうございました。月火水木君曜日のしょっぱなセリフで「名古屋のみなさん〜僕らと一緒に曜日感覚確認していきましょう〜」と言われたのよくわからないけど面白かったけど良くわからなくてかわいかったです。


 魔法ヶ丘のイントロ、道枝くんがギターで躓いてしまい申し訳なさそうに小声で「すみません…」と謝ったんだけど変な空気になることもなく、一切何事もなかったようににこやかにもう一度イントロのピアノを弾き始めた大西さんは本当にプロの仕事人で大好きだった。

 

 

▶︎MC

・昨日の夜何してた?の話から、道枝大西は玉森くんのドラマ、丈橋はモンスターズインク、長尾ちゃんはサッカー、恭平はハマってるポケカ見て寝た。

・大橋くんが風磨さんのセッ特を知って俺もできるかな!?の話からそれっぽいポーズを取ってみるんだけど丈一郎に「外国に売ってる変な埃かぶってる置物」と一蹴されて終わる。隣で無言でポーズ取ってる大橋くんに気づいた西畑さんが爆笑しながら大橋くんにタオル投げたの良いツレだった。

・なにわの中であれやるなら誰?って話になって、みっちーはもう表紙やったよね。「俺出る時大体腸活やねん。お腹弱いんかな?」←可愛い。やるなら恭平とかどうなん?の話。丈くんは横山くんのセッ特は買った。西畑さんが「座ったら人って大体お腹にちょっとお肉が寄るやん」と恭平ちゃんに話をしたら嫌味のようにバキバキの腹を見せながら「俺も最近皮乗るんですよね」と言ってくる。皮?

・細すぎる恭平ちゃんに対しみんなから「ちゃんとご飯食べてる?」と言われ「食べてますよ」丈「昨日ガーリックライス食べた人✋」✋✋✋機能のガーリックライスのせいで今日みんなだいぶニンニク臭かったとの話。


 着替えじゃんけんは夏生まれと冬生まれで分かれる。

・夏生まれMC仕切りは大橋くん。昨日の帰りは車が二つに分かれて、大橋大西が後半組。後から帰ってきたら誰かがバカデカ声で歌っていた(犯人道枝)みっちーの部屋のドアをどんどんと叩き「聞こえてんで…」と伝えた大橋くん、「近所のおばちゃんやな」と言われる。

冬生まれMCは昨日の夜恭平ちゃんが何をしてたか。最近ポケカにハマってるのでポケカを見ながら早めに寝た。SnowManの深澤くんと延々とポケカの話をしてる。ポケカ仲間は深澤宮田恭平の3人。カード撮影しながらオンラインでも対戦するんだけど、エンドレス「あれなん?いけ!ピカチュウ!!君に決めた!!とか言うん?」恭平「え?そんな頑張んないっすよ。」

・大好きな甲子園が始まる話。明日10:00〜で絶対明日テンション高い!!とウキウキの丈一郎。結果まで見れるかな!?「初心LOVEの時だけ(スマホで)こうやって映像見ながら出てくるかもしれんw wオープニングだけすんません!!」『あかんあかんあかん(笑)』「バクステのモニターに映して貰えばええんちゃう?」「せやな!!初心LOVEだけすんません!!ってな!!」野球の話だったか、女子には伝わりにくいネタでなにわ男子さんが勝手に盛り上がってる時間が一瞬あって、その時間がこちらオタク的にはだいぶ楽しくて仕方なかったな。

・今日豊橋と三好で花火大会があるから帰り電車混みそうだし気をつけてや!?と心配してくれるなにわ男子の皆さん。ホテルから花火見れるかもしれへんな!?と盛り上がるなにわ男子の皆さん。


 着替え後白ベース、上はカジュアルめなブルゾンかと思えばレースもあしらってある繊細で可愛衣装。最近超バズってるChloeのトートバッグみたいだなと思ってたけど現物見たらちょっと違った。メンステ→センステ移動しながら歌唱、前列センターは道枝くん。センステ回る盆の上でメンバーカラーの花と白いリボンがあしらわれたスタンドマイクでTimeless Loveの歌唱。結婚!!好き!!ちゅきハリの後、「なんでやねん」が上にデザインされた白いサングラスとメンカラのの花輪をつけてパラパラ風妄想ディスコ🕺→関西アイランド。間奏はタカツキング崇拝の真弓くんとひらパー兄さん崇拝のこたちゃんのジャンケンで勝った方が決め台詞。winner真弓。

 

 現在から過去を振り返る映像が入って、当時のラキボ映像と一緒にラキボ衣装で歌唱。あの頃を戦った大好きな一張羅、いい意味で似合わなくなってて感慨深くなっちゃったな。四年前のなにわ男子みんなまだまだ垢抜けない顔をしてた。ジュニア時代の曲コーナーが続く。


 雷が鳴ってJr.時代曲コーナーやったしもしかしてあたしたちこのまま南の島に遭難するんじゃない!?とか馬鹿なこと考えてたらThe Answer始まった。黒のThe Answerもかっこよくて好きだけど、赤のThe Answerめちゃくちゃかっこいい!!!!特攻の火と合わさるからなのだろうか。あんなにかっこいい衣装なのに高橋恭平さんのジャケットのバックスタイル、キラキラマークとゴールドチェーンのせいでなんかピエロの顔みたいに見えて可愛かった。シンシア本当に大好きな曲〜!!!なにわ男子が歌うのは確かに好きなんだけどこの曲ばかりは正直ジャニーズJr.に心傾けてしまう節があって、斗亜ちゃん拝見しながら勝手に泣いてしまった。照明が存分に当たらない中でも全力で踊ってくれている君たちに「誰かじゃなくて君がいい」って叫びたいし、これを夏松竹か何かで歌われたら私はこじらせすぎて松竹座に骨を埋めたいと常々思っている。


 Welcome to アイラブユー挟んで挨拶。ご来場くださりありがとうございます!って言われるのも丁寧でいいんだけど、「僕たちに会いに来てれてありがとうございます!」って言われるのめっちゃ好きだなって思った。そうなのよ、何日も何週間も前からこの日を待ち侘びてこの日のために労働して全力で会いに来てるんだもん。ドストレートに「会いに来てくれてありがとう!」って言われたら嬉しいよ私は。こちらこそ最高の時間をありがとう!!なのよ。西畑さんお得意の愛知のみんなあいちてる♡


挨拶後、emerald→ダイヤモンドスマイル。


アンコール 髪の毛ハーフアップで出てきた高橋恭平ちゃん三歳の幼女みたいな顔してた。なにわの男子やねん→初心LOVE。スタトロは西畑長尾道枝丈。本当に毛穴とかニキビとかいう概念知ってる?って思うくらい肌がツヤツヤで綺麗だし目はぱっちりだしガンガンの涙袋だしあ〜本当に同じ人間なのだろうか?と何度か疑った。センステで橋橋がずっと抱き合いながら押し相撲みたいにしていたけどなんなの?大好きなの?大橋くんは外周周りながらすれ違うジュニアもそれぞれと肩を組んだりわちゃわちゃと触れ合っていて本当にすごい人だなあと思って見てた。おわり。

 


 つい癖で自担ロックオンしてしまうからって言うのもあるんだけれど細かいこととか全然覚えてられていなくてこんなことしか書けない。でも本当にあっという間の2時間半で、ずっと高橋恭平さんの顔が好きで顔がかっこよくて最高だった。顎から耳にかけてのライン、耳辺りとうなじの毛がしっかりすっきりしているからスッと見えてめちゃくちゃにカッコ良くてだいぶメロった。事実顔が最高にかっこいいんだけど「スカしてる俺、どう?かっこいいでしょ?」みたいな絶妙な気だるさで飄々と動き回る彼を見ているとイイヨッ!最高!日本一!いや銀河一!!それでこそ天下の高橋恭平さん!!と指笛吹きたくなる良さだった。右手の黒ゴムも現在で大拍手喝采。最後に見た京セラの頃と変わらず、横に並ぶことの多い大橋くんからの好き好きに嫌そうな顔しながらまんざらでもないので結局どちらかというと恭平が大橋くんのこと好きなんだからなあ〜ヤレヤレ…の気持ちになった。いつ何時もその最高の顔面でそこに存在してくれてありがとう。

 


 ジュニア時代の曲もデビューしてからの曲も全てを盛り込んだセットリスト。あれ聴きたかったのに、の未練もなく、今なにわ男子が持ちうるものを、7人全員が出ずっぱりで披露してくれた今回のセットリスト。衣装も演出も王道中の王道。本当に嘘も小細工もなく真っ直ぐな、「1st Love」ツアーなんだなって思った。オープニングで階段を降りてきた7人を見ながら、あ〜デビューだな、デビューおめでとうだ…って今更心の中でしっかり言えた。最後に7人をみた京セラドーム以前のあの頃、明日さえもどうなるかわからない世界線で、表ではニコニコしながら、目には真っ赤な闘志と一抹の不安が見え隠れしていたように見えていて。こちらが全力で背中を押してあげないと、今にも倒れてしまうのではないかという脆ささえ感じた日もたくさんあった。「結局世界は夢現だから」と歌わせた空言のオーケストラを聞いた日の苦しさといったらなかったのよ。それがこんなに肩の荷物を下ろして、なんの重りもなくこちら側の背中を押してくれる歌の数々を届けてくれる7人に、デビューの顔を感じてしまった。生では初めて見る顔だった。あの頃と違うことが、存在が遠くなって寂しいとか、そういうことではなくて、いい意味で遠くから見守れる7人がそこにいて、幸せそうな7人を見ているだけで、幸せだな〜と思えて本当に温かい気持ちになれた。今更だけど、デビューおめでとう。待ちに待ったデビューツアーという一度しかない大切な時間に立ち会えて本当に嬉しいです。想像もつかないくらい多忙な日々かと思いますが、少しでもゆっくり温かいお布団で寝られますように。高橋恭平くんが今日も変わらずポケカに打ち込めますように。これからもずっと7人が幸せだと思えるなにわ男子でありますようにと願いを込めて。11月、横浜で待ってるからね〜!!!!

 

 

 2年半ぶりの遠征コンサート、お家に帰るまでが遠征だけども、一番搾り一皮飲み干した。終演後にはお寿司とビールを楽しめたし、これも社会人オタクならではの悦。今日は幸せな気分で寝られそう。ご清聴ありがとうございました。またね。

 

 

 

3年ぶりに観劇した記録


やっほー!オタクです!気づいたら令和も4年目で、迫りくる現実から目を背けられず、ひとまずマッチングアプリに登録だけしてみたアラサーです。
ご縁あって俳優座劇場にて上演されている「遠ざかるネバーランド」という作品を観劇させていただきました。ストーリーに触れようとすると全てネタバレになってしまうタイプのアレなので、端的に言うと全てネタバレです(やめな)しかしオタクたるもの、享受したものはアウトプットしたいのが性なので、自分用の気持ちも込めて記録に残します。

 

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ネバーランドに行って空を飛びたい」
自由に空を飛んでみたい、
永遠に子供のままでいられるネバーランドに行ってみたい。
誰もが一度は抱いたことがあるだろうこのファンタジーな夢を、なるほどこういう捉え方ができるのだと、ただ呆然としてしまった。観劇から一夜明けて、台詞をひとつひとつ思い返してようやくグっとこみ上げるものを感じてる。


主人公は、17歳の高校生・上田いずみ。
ピーターパンの世界が大好きで、ずっと空を飛びたいと思っていた。
いずみが空に向かって手を広げると、そこはいつのまにかネバーランドになっていた。

 

 

元気で明るくてワンパクででも少しだけ臆病者の男の子・ルフィオ。
シンデレラが大好きでいつか王子様に迎えに来てもらいたい女の子・エコー。
ピーターの全部が大好き!ピーターも僕のことが好きなんだよ!無邪気で愛らしい・トゥートルズ。
3人に出会い、ネバーランドに迷い込んだいずみは、自らを「ウェンディ」と名乗る。

 

ウェンディはピーターパンに出会い、「わたし、空を飛びたいの!」と申し出る。
ネバーランドで唯一、ピーターパンだけが空の飛び方を知っているから。


ネバーランドの住人はみんな、空を飛びたいと願っている。
人魚だけど空を飛びたい、泳ぐのがちょっとヘタクソな人魚・ビスカ。
絵をかくのが好きな村の酋長の娘・タイガーリリー。

 

「なんで空が飛びたいの?」

「なんでって、ネバーランドに空が飛びたくない人なんていないよ」


そんな住人たちと対立するキャプテンフック。
その手下の海賊たち、フォガーテ・ドンキー・スターキー。
ピーターたちと対立し、ピーターパンを倒すことが彼らの目的。


そして、そこのやってくる一人の少年。
少年は妖精ティンカーベルに依頼され、空を飛ぶことを止めさせるためにそこにいた。
それは、ネバーランドとは何の関係もない少年だからできること。

 


空を飛ぶためには?
翼はいらない。好きなことを一つイメージして。そしたら体がふわっと、宙に浮く。
ルフィオはハンバーグ!エコーはシンデレラ!トゥートルズはピーターパン!
それぞれに空が飛びたいと願う。
「空を飛んだら、特別になれるから」

 

少年は問う。
「なんで空が飛びたいの?」「本当に飛べると思ってるの?」

「何ハンバーグ?」
「和風とかさ、いろいろあるじゃん!」
「王子様が迎えに来てくれるなんて本当に思ってんの?」
「ピーターパンのどこが好きなの?全部?具体的には?」

「私の名前はタイガーリリー!誇り高き村の酋長の娘!」
「村があるの?父親ってどんな人?」
「どんな人……?」

「海賊はなんで空を飛びたくないの?」
「なんでって…なんとなく」
「…空を飛ぶ海賊なんか…かっこ悪いじゃん」


住人たちは閉口し、次第に笑顔が消えていく。
ピーターパンはウェンディたちに「こいつのことは見えないし聞こえないことにしよう!」と少年を徹底的に無視するよう提案。


空を飛ぶためにもう一つ、妖精の粉が必要なことを忘れてた。
妖精は妖精の丘にいる。ウェンディたちは妖精の粉を求めて冒険にでる。

 

道中も度々少年は登場し、住人たちに執拗に問う。少年が問うごとに、住人たちは自問自答し、「本当の」記憶を取り戻し、「空を飛びたい」と願う気持ちが揺らいでいく。


「私の名前はタイガーリリー!誇り高き村の酋長の娘!」
「本当の名前は?」
「…だから…タイガーリリー!」
「そうじゃなくて!」
「…見えない!!!聞こえない!!!」


冒険の道中、ピーターたちは洞窟でトゥートルズと逸れてしまう。
ピーターとルフィオはフック船長に捕らわれたであろうトゥートルズを助けに、ウェンディとエコーは狩人の村でピーター達を待つことに。


ルフィオはピーターに、エコーはウェンディにそれぞれ不安を吐露する。
「ちょっとだけ!!…不安。ちょっとっていっても!!こーんなちょっとだよ?」
「みんなで空、飛びたいんだろ?」
「飛び………」

 

「ねえウェンディ?編み物のやり方とか知らない?」
「どうしたの急に?」
「あの人(少年)が、飛ぶより前にできることがあったんじゃないって……」
「はあ?」


ピーターパンは住人から「空を飛びたい」という願いが消えた瞬間静かに住人たちを殺める。ルフィオもエコーも、船に捕らえられていたトゥートルズも。


本当はピーターパンも空の飛び方を知らない。
だってピーターもまだ、「飛んだことがない」から。

 

ピーターパンはフック船長の船に乗りこみ、ついに船長と対峙する。
フック船長の手首を切った時のこと。
ピーターパンは本当に空を飛ぶのか。


フック船長は倒れる直前ピーターパンにこう告げる。
「子供の時間はもう終わりだ。これからは長く苦しい大人の時間が待っている。
 ………それでも死ぬほどのことじゃない」


舞台中盤から薄々気づき始めていた「空を飛ぶ」ということの意味がここでついにつながる。
そらをとぶこと 飛び降りるということ
永遠に子供のままでいられるということ


ネバーランドは、自殺を望んだ上田いずみの心の中の世界で、住人は全員、上田いずみ。父親がいない、母が病気で入院している、泳ぐのが苦手、友達と仲違いをしていずみの心の中を、住人がそれぞれに入れ替わり立ち代わり演じていく。

 

本当の記憶を取り戻した、人魚のビスカ。
人魚なのに泳ぐのはちょっと苦手。
スイミングスクールで50m泳げて、ぐるっと回るターンもできたよ!って嬉々と母に報告したら、母は喜んで記録会を見に来てくれた、記録会の日、母の目の前で、スタートダッシュを切った瞬間、足がついた。本当は25mも泳げない。お母さんを喜ばせたかったから。

 

本当の記憶を取り戻した、狩人のタイガーリリー。
狩人の村には、タイガーリリーただ一人。酋長の父親もいない。文化祭に向けて、親友と半分ずつ絵をかいて完成させようとしてたのに、締め切りに間に合わないからと親友は絵を勝手に完成させてしまった。

 

小さなゆがみが17歳のいずみの心を簡単に蝕んだ。


お母さんのハンバーグがだいすきだった。
お母さんだけはいずみのことを好きでいてくれた。
特別な女の子になりたかった。

 

「いずみ、泣きたい時には泣いていい。いずみが辛くなった時には、お母さんが一番に助けに行くから」
「お母さんが、遠くに行っちゃったら…?」


お母さんは、いずみに見られないように死んだ。
どうせ死ぬなら目の前で死んでほしかった。

 

嘘なんかつかなきゃよかった、もっと甘えてわがままを言えばよかった。

 

ネバーランドにウェンディとピーターパン、少年だけが残る。
憔悴したピーターパンが最後の最後で「飛ぶ」ことを恐れた瞬間、ウェンディは静かにピーターパンの息の根を止めた。


最後まで「飛ぶ」ことに憑りつかれたウェンディが足をかけた時、少年は止める。


「あなたには関係ない!!あなたに何がわかるの!!!」
「俺はお前じゃないから、お前の痛みはわからない!!それでも大丈夫、大丈夫になるから」

 

「なんか話して。そしたらそれを聞いて、俺もなんか言うから」

 

少年はいずみに手差し伸べ、いずみもゆっくりと手を握り返す。

 

 

 


ハンバーグが大好きなルフィオも、特別にな女の子になりたいエコーも、ピーターのことが大好きなトゥートルズも、
泳ぐのが苦手なビスカも、絵が好きなタイガーリリーも、なんとなく飛びたいし飛びたくない海賊の手下も、
ピーターに手首を落とされたフック船長も、全員、17歳の高校生・上田いずみ。

 

前半はみんながよく知るファンタジーのピーターパンの世界をそのままに、だんだんと暗雲が立ち込めていく。

 

なんで飛びたいの? なんでって言われても。
なんで飛びたくないの? なんでって…なんとなく。

 

いずみが「飛ぶ」ことを決意するまでに受けてきた傷や痛み、ゆがみ、迷い、寂しさ、苦しさがそれぞれの住人によって描写され、少年はいずみが「飛ぶ」のをやめるよう何度も何度も問いかける。

 

「なんで飛びたいの?」
「本当に飛べると思ってるの?」
「飛ぶより先にもっとやれることがあっただろう」

 

あなたの痛みであってそれは私にはわからない
お前の痛みはわからないけど、なんか話して。俺もなんか言うから。


辛くて苦しくて何も聞こえない何も聞きたくなくなっても、それでも、死ぬほどのことじゃない。翼なんかなくても、明日になったら戦えるかもしれないし、小さな奇跡はいくつだって起こるんだよ。

 

 

 

私がもう10歳若い時にこの作品に出会っていたら、まだ感じることも背中を押される部分も全然違っただろうなと思う。
最近読んだ森絵都先生の『カラフル』を読んだ時の感覚に少し似てる。

 

「大丈夫になる」という少年の励ましは、とても無責任にも思えるし、第三者である少年からの「大丈夫」だからこそ救われた部分があったのかな。
主人公が17歳だからこそ、受ける痛み一つ一つの大きさと、逆にたった一言ですっと心を掬われるんだなあ。
ウェンディがピーターの息の根を止める直前、あんなにかわいらしかったウェンディが、ピーターと同じ狂気の顔をしていることに気づいたときにはぞっとした。


「見えない、聞こえない、聞きたくない」
「ピーターだけが僕のことを好きでいてくれる」
「フック船長の手首を落とした時、排水溝に流れ出る赤」
「空を飛ぶ」「遠くに行きたい」「永遠に子供のままでいられるネバーランド

 

物語の中にキーワードはいくつもちりばめられていて、物語の終盤ですべての点と点がつながった時には涙が出てしまったし、もう一度観劇して取りこぼした台詞たちを一つ一つ拾い上げたいなという気持ち。

 

初見の俳優さんばかりでどきどきわくわく!
主演の德岡明ちゃん、舞台中はきれいで可愛いお姉さんウェンディなのに、カーテンコール出てきた瞬間めっちゃ可愛い女の子で、投げチューファンサもらって可愛すぎて卒倒するかと思っちゃった。溌剌とした若々しい(若い子に若々しいというのは違うか)お声なのに、ひとたび歌いだすとめちゃめちゃきれいなソプラノで本当聞きほれちゃったな。


そして人生初俳優座劇場!
舞台を観劇したの自体もしかしたら19年の少年たち以来かもしれなくて、禍の事態の重さをしみじみと感じつつ。

定時に仕事を終わらせて猛ダッシュ六本木駅に降り立ち、大戸屋で詰め込みディナーを済ませ走って劇場にログインしたものでしみじみと浸る時間もなかったのは惜しいけれども。
なによりも大江戸線六本木駅の出口目の前というアクセスの良さ。観劇後そのあたりで一杯やってから帰れそうなところもポイント高~~
(今回は翌日に仕事を控え終わった瞬間そそくさと帰宅したけれども…)

 

あれこれ脳みそ張り巡らせて全身全霊で物語を受け止めに行きたくなる、舞台ってやっぱり楽しくて面白くて大好きだな~と思っちゃった。3年ぶりの観劇、座席に座った瞬間からその世界感にぐっときちゃたのはここだけの話。おわり。

 

 

 

オタクしたい気がするオタクの戯言

 

  やっほ~おたくです。環境の変化、年齢とともに変化する自分の体にそろそろ耐えがたさを抱き始める三十路も手前のアラサーオタクです。ようやく自分に合うものみつけても、自分が変わってしまうから年齢っておそろしいよね。深イイ~~!!

 

 禍も極まりに極まり続けてなかなか前向きにものを見られない中で、追い打ちをかけるように結局またあんまり明るくない話で申し訳ないんですけど、頭の中を文字にしたら少し胸のつっかえが取れていくんじゃないかなみたいな希望的観測を込みで、週末の夜長においしいハーブティーでも飲みながら愉しんでいただけたら。私ハーブティー飲めませんけど(聞いてない)

 

 

 気づいたら禍といわれる状況になって2年が経とうとして、3度目の春が来るらしい。なんだかもうそれだけで泣きそうになってしまった。我々はもうそんなに長い期間、こんな未知のウイルスと戦い続け、未曾有の状況を味わっているんだなあ。禍になる手前2020年の1月に、関西ジャニーズjr.が満員の京セラドーム大阪でウルトラハッピーなコンサートを3公演もできたこと、運なんてものを感じるのは勝手だけど、それでもタイミングだったんだなあと思う。あの時大阪の神社で「健康に過ごせますように」と初詣として祈ってきたのにそんなレベルの話でなくなってしまった。

 

 2年の間、変わらないことにもやもやして地団駄を踏んだり、変わってしまうことに不安を抱いたり、薄暗く見える世の中の中でそれでもいろんなことがあったけど、何よりも私自身、「オタクをしないことが当たり前」になってしまったことが、あまりにも大きい。禍になる前の頃は、1~2月に一回、東京大阪名古屋をご近所のように行き来して現場に通ったり、オタク友人各位と顔を合わせたりしていたのに。

 

 禍1年目前半。未知のウイルスに対して、結構恐れてた。宣言が出て、町から人が消えて、気軽に外出もできなくなって。全国みんながみんな、そういう状況で、語弊を伴う言い方だけど、みんながそれに従って生活してたし、それが当たり前で、みんなが同じだったからそういうもんなんだと思えてた。ライブが出来なくなって、アイドル誌も過去のグラビアをつなぎ合わせて1冊の雑誌を形にしてくれて、自宅からリモートラジオしてくれたり、配信ライブをするとか、ISLAND TVを活用したりとか、YouTube配信、手洗い動画、、エンタメを殺さないための努力はずっと続けられていて。現場に行けないことによるオタクへのモチベーションの低下は確かに否定できなかったけど、あつ森にドハマりしたり、筋トレしたり、どうにかこうにか生き抜いてた。状況が落ち着いてまた悪化しての繰り返しの中で、決まったと思った現場が悉く中止、配信切り替え…となっていくのを見るたびに、期待することすら止めたほうが楽なのでは…と思うようになった。

 

 禍1年目後半~2年目。相変わらず状況はよくなったり悪くなったりを行ったり来たりしていたけど、それでも世の中はそれと共存しながらどう経済を再開させていくかというところに舵を切り出した。エンタメも少しずつ再開されだして、小さい会場から。1番最初の有観客現場、Lilかんさいだったよね。オタク側の想いもそうだけど、まだ若いLilかんさいたちがどんな気持ちでいたかと思うと胸が避けそうな気持にもなります。

少しずつ探り探りに現場が再開されていったり、外出したり遊んだりっていうことができるようになってきたこのころに悩まされたのは、現場があっても行けないことだった。小さな田舎にある地元は、東京が日に300人500人と感染者が出ていた時期に、1人2人でも感染者が出れば大騒ぎのもので。どこに働いてる女性で男性で何歳くらいでという情報が瞬く間に町中を駆け巡った。噂好きの田舎の悪いなと思うところを散々目にして辟易した。それと同時に、私がこの時期に外に出向き、万が一感染しようものなら起こりえたであろう「社会的に殺される」とリスクを負う勇気はなかった。かたや遠征して現場に参加するオタクを見る中で、毎日働けど働けど何も報われないような気持になって、「嫉妬」といってしまえばそれなのだけど。「自粛」「自己責任」の曖昧で辛い風潮の下で、どう考えても現場に行くことも、小さな地元から外へ出ることもできなかった。さながら鎖国だし踏絵だった。江戸時代かよ。

 

 現場に期待をすることもなくなり、行けることもなくなり、いつしかこうやって低空飛行している状態が当たり前みたいになってきた。適当に好きなようにテレビ露出等のコンテンツをかいつまんで、おいしいごはんを食べてればそれとなく生きていけるようになった。満足してる、と思ってる。兄弟が結婚したり、新生活を始めたり、「オタクじゃない自分」を得てきている自分が確かにいて、あんなに現場がなきゃ生きていけなかったのに、「案外生きていけるんじゃん」なんて思ったりしてる。引き換えに、あの頃の爆発的な興奮とか高揚感とか、抜群に心が躍る瞬間みたいなもの、なんかどっかにおいてきちゃった気がするけど。マスク、あってもなくても無表情だよあたしゃ。勝たんコンに「行かない」選択をして、たしかに行かないことを選んだのは自分なのだけど、どうしようもない黒い気持ちに埋め尽くされる日もあって、こんな気持ちでオタクをするのは良くないなと、意識的に離れているうちに、オタクである当事者意識は結構薄れてしまって、また一歩、「当事者でいられなくなったな」っていう謎の寂しさを勝手に感じてしまって、心が遠のいてしまった。

 

 うれしいことももちろんあった。なによりもデビュー。暗雲たちこめる世の中に希望の光を差し込んでくれる妖精さんみたいななにわ男子たちが「初心LOVE」をひっさげて人間界にやってきてくれたこと、感謝してもしきれない。本人たちこそきっとこの禍の中で、先の見えない不安と相当戦ってきたであろうに、表に見せてくれるのはいつも笑顔で、「ファンの人の力になれるスーパーマンみたいな存在になりたい」と言い続けてきてくれたことに、何度となく救われた。デビュー発表、地上波ゴールデン、いつもよく見るテレビにたくさんなにわ男子が出るようになって、羽田空港のデビューイベント、CDリリース、夢が現実になる景色をたくさん見せてもらった。

 

 人生このかた、半分以上オタクとして生きてきたし、友達みんなオタクだから、オタクじゃない自分ってどういう自分なんだろうとちょっと想像もしづらいし笑えてしまう。それぐらいオタクとして楽しく生きてきて、足を洗いたい自分と、オタクでいたい自分が葛藤するときもある。「変わっていくことをなぜ僕らは恐れるのかな?変わらないものを笑うくせに」って本当にその歌詞のままに悩み続けている。どうオタクするかなんて人それぞれなんだし、どんなふうにファンでいたっていいわけで、わざわざこんなブログなんか書かなくたって明日は来るんだけど、楽しすぎた今までの思い出とともに、「おたく」の形についこだわりたくなってしまう自分も消せなくて、悩みってのは尽きないね。人生はいつだって岐路だらけ~~~~。

 

 金曜日の夜長にしんどい話ばっかりしててもいけないから、楽しい話しよ。いつか現場に行くかもしれないときの話でもしようかな。

 

 現場ってたのしいよね。もう当たった時から楽しいの。どんな服着ようかなってところから始まって、あからさまなメンバーカラーを取り入れることにちょっと恥ずかしさも覚える年齢になってきて、寒いかな暑いかなって、一張羅で参戦したいけど、あんまり大金は出せなくて、手ごろに可愛い(セール品なら尚)服がないかな~なんて結局ZOZOTOWN見ながら半日時間溶かしてる。紛れもなくオタクのくせに、いかにおしゃれしてオタクじゃない空気を出せるかということを考え続けてる。化粧品を新調しようかな、とか、髪の毛がプリンになってきてるからイメチェン含めていつ美容院に行こうかな、コンタクト切れそうだから眼科にもいかないといけないし、ホテル予約のためにまたスマホとにらめっこして、じゃらんのポイントが残ってたらラッキーだし、今日同じホテルを〇人が予約しました♪とか言われると「同志…?」なんて思うのよ。行きかえりは新幹線にしようか、バスにしようか、大阪行くなら名古屋から近鉄線に乗るのもいいなとか。

 

 現場の日の朝は特別で、冬だったりすると、まだ夜も明けきらないときの、ツンとした冷たい空気とか、時にはタクシーで駅まで向かった日のこととか、あの日ウキウキしながらつけてた香水の匂いとか、忘れられずに残ってる。未練がましい彼女みたいなこと言ったな。

 

 大阪松竹座に行くときは、新幹線で新大阪駅で降りて、そこからの道のりは大体慣れてる。中央改札出て、正面のエスカレーター降りたらもうすぐ御堂筋線。なんだけど毎回エスカレーターが右か左かのトラップにここですでに引っかかる。新大阪駅は観光客多すぎてもはや逆になってること多いけど。あの改札手前のマクドナルドってまだあったんだっけ?しばらく行ってなくて忘れそう。中央改札手前のタリーズで公演後に泣きながらパスタ食べた夜もあった。改札抜けて行き先表示を見るたびに「なかもず、って可愛いよなあ」と思いながらまたエスカレーターを上る。降りてすぐのところで御堂筋線の音楽に浮足立つ。「なかつ↑」じゃなくて「なかつ↓」なんだなとか、無駄に「にしなかじまみなみがた」って言いたかったりとか毎度同じこと思いながら電車さえも楽しんでいるし、なんばで下車したら、いつもの出口だ~~~!!って毎回感動して、HIPSのパチ屋の馬鹿デカ音楽と謎のにおいに安心感さえ覚えるよね。さすがに外出たとこの立ち食いラーメン屋の前だけはいついっても強烈な匂いだな~と思うけど。開演よりちょっと早めになんばにいって、商店街筋を適当に練り歩くのが楽しい、夜行バスで大阪に行くと、朝早すぎてシャッター街だったこともあるけどね。夜行バスといえば「梅田モータープールってどこだよあるある」ってあるよね、梅田駅と大阪駅近辺、噂通りのダンジョンで何回いってもわからない。脱線した、電車だけに。寒~。551とか戎橋の蔦屋とかスタバとかかに道楽とかグリコの看板とか、いつものDaisoとか、何回通っても新鮮にわくわくちゃうの何なんだろう。松竹座前にいると聞こえる世の中の「なに?関ジャニ?」とかいう声も、公演終わって外に出てきて、居酒屋キャッチのお兄さんに「この人らも鳥貴族行くんか…」みたいな顔されて、文字通り鳥貴族であ~だこ~だ言いながらとろろ焼きを食べて盛り上がりたい。冬の寒空と御堂筋のイルミネーション、そろそろ恋しいな。

 

 城ホールにいくときは大体迷う。そもそもなんばで降りることがほとんどだからJRの電車にうまくのれない。山手線もそうなんだけど、環状の電車はなおさら難しい。大阪城公園、たくさんお店もできてきれいになったよね。ローソンしかなくてトイレ探しが地獄だった時にも一度訪れたことがあるのでびっくりした。公園の噴水も時計も水上バス乗り場も、うわさに聞いてたやつだ~~と思うし、公演後に出てきた瞬間見えるライトアップされた大阪城には一人前に感動してみたりする。

 

 京セラドーム経験は少ないけどどれも大切なので書いておこ。でっかいイオンのおかげで忘れ物してもなんだかんだ困らないのは助かるし、トイレどこ??となってもとりあえずイオンに行けばいいなと思えるからめっちゃ助かる、トイレ心配しガチオタク。人の波に押されるように歩道橋を通って、あのねじり鉢巻きしましたみたいな形の京セラドームが見えてくると、これまた「てれびでみたことあるやつだ~~~」と思う。オリックスのロゴもなにわ男子のファンとなれば馴染みが深すぎてもはや親戚みたいな心持で見つめてしまう。またこれから先何度でも、京セラドームの景色を見られる機会ががあるといいな。

 

 東京だったら東京ドーム。新宿から中央線にのろうか、総武線に乗ろうか迷って、まあ数分しか変わらんなら総武線の各駅停車に乗ろう、と思う。水道橋降りた瞬間、東口に出るんだか西口に出るんだか迷うのがデフォルト。改札出るときに、公演後のこの改札の混雑を想像してちょっと病む。ICカードのチャージはここでしとこう。駅前の居酒屋を右に見て、人並みに任せて歩いたら大体もう東京ドームみたいなとこある。そのうちまた東京ドームに来れますように。

 

 横浜アリーナ行きたいよね。新横浜~~~~~新横浜~~~~~。横浜線菊名から新横浜に向かう電車、いつも同志のオタクしかいなくて笑っちゃう。新横浜の駅ナカで、いつもグッズのカラフルなポスターの外袋やうちわの柄たちが見え隠れする現場の日、なんだか新横の駅に似合わなくていつも微笑んでしまう。駅前でダフ屋のお兄さんを目にしつつ、謎の雑誌のバックナンバー販売してくれてる本屋さんを右目に通り過ぎて歩行者通路をオタクの波に沿ってあるいたらもう横アリじゃん。ていうか現場、オタクについていけば大体目的地につける。グッズを買うために横浜アリーナを囲むようにぐるっと長い列を作って、なかには入れた瞬間には「音漏れしないかな~♪」とかいう下心ばかりチラつかせながらグッズ買ってる。交通整備のおにいさんに怒られながら、人波をかきわけて新横周辺でご飯食べられるところ探してみたりして。横浜アリーナでスタンド南ブロックまで歩いてやってきてくれるなにわ男子を想像しながら、横アリにまた行ける日を楽しみにしてる。

 

 関西古の老害オタクは日生劇場新橋演舞場にも行きたい。有楽町でおりて、いつも有楽町駅前で「テレビのインタビューしてんのここか~」と思う。あの頃は終業後に日比谷銀座劇場近辺に平日通えるOLになりたいなんて夢見た日もあったけど。なにわ男子、日生劇場公演してくれないかな?日比谷シャンテ通り過ぎたら日生劇場は目の前で、何度となく入り口の前で写真を撮ったなあ。ビル街の中にこんな非日常の劇場が存在するの、不思議だよね~っていつも思う。有楽町から銀座方面に出た時と、日比谷方面に出た時と、世界の違いを感じちゃう。正直あの辺の地理そこまで詳しくないから、頓珍漢なこといってたらこそっと教えてください。

 

 いろんなことをぽつりぽつりと思い出していたら、楽しかったな、という思いでしかなくて、結局現場に行くことに未練しかないんじゃないか?とか思う。でももう3年もこんな生活続けてたら、どこでスイッチを切り替えていいのか正直分からなくなってしまった。人生どっちに曲がっていったらいいんでしょ。そんなの結局自分次第でしかないんだけど、ちょっと聞いてほしかった話。重たかったね~~陳謝。禍、いつ終わるの?って気持ちもあるし、永遠に終わらないならもっと穏やかに共存できる道はないものか…と溜息出ちゃう。連休明けからの週5勤務を終えて、やっと週末が来るのうれしいな。まだまだ寒い日が続くけど、ご自愛ご自愛で、暖かくして過ごそうね。こんな拙著を読んでくださった友人各位に、また以前のように気楽に顔を合わせられる日々が来ますように。一人暮らし、人肌恋しくて困っちゃうな~。おわり。

 

 

2022年はマラソンにでも挑戦したくなったオタクの話

 

 やっほー!身内友人知人の結婚を横目にみながら「まあ禍だし…」を盾に一人時間を謳歌しているまじのアラサーオタクです。禍もいよいよ長くなってきて、心も体もなかなか思うように動いてくれない時期を通り過ぎ、昨秋、なにわ男子のデビューを見届けたあたりから個人的に生活にも変化があり、新年から新天地にて晴れて一人暮らしデビューをしました。楽じゃないなと思うことも確かに多いけど、5年ほど続けてきたダイエット&筋トレ生活にここにきて今一度火が付き、テレワークで自宅時間が増えたのをいいことに、人生何度目かの決意表明ブログを完成させようと思います。たまたまこれを読んでくださったそこのあなたも、一緒なら頑張れる気がするので、私と一緒にトレーニングしてくれませんか…。

 

 2022年の目標、何事にも無理をしないこと、自分で自分を認められること。そのために、食べて動いて健康的に痩せるダイエットを実施したい。

 

 

■前置き

 

 生まれてこのかた菓子パンと牛乳が大好き、運動は大嫌い、洋服はだいたいしまむらのプラスサイズ、ズボンは股から破れる、自分の腹が出ているあまりに足の爪が切りづらい、万年ふくよかな人生を送ってきましたが、5年ほど前にひょんなきっかけでダイエットに目覚め、15-20kgの減量をしました。食べないダイエットをしたり、過食に片足突っ込んだり、とりあえずいきなり走ってみたら足を痛めてみたりなど経験しながら、世にいう「〇〇するだけ!」みたいな楽さは一切なくて、とにかく運動してご飯も食べてのかなり泥臭いダイエットをぼちぼちと継続しながらのものなので、おそらく何の参考にもならない点が多々あるかと思いますが、足パカ動画でもみながら片手間に読んでいただけたら。いかにして自分のモチベーションを下げずにダイエットを継続してくかという大変な無理難題について、もしどなたかのヒントになることがあったらいいなあと思います。

 

 

 

■ 食事編

 

 ダイエットは食事8割、運動2割らしいです。そんなこと言ったって世の中はおいしいものに溢れすぎているんだし、どんなに食べても太らない体があったらなんと幸せかと思うわけですが、悲しきかなそんな夢みたいな話はないらしい。あーあファミチキおいしいなあ。食事について気を付けている点は以下です。

 

①炭水化物は抜きすぎない

 細くてきれいな芸能人の方が「炭水化物抜いて痩せましたあ」みたいなことをよくおっしゃるので私も一時期糖質抜きダイエットしてたんですけど、シンプルにしんどい。数日~数週間仮に持ったとしても、体にエネルギーが足りなくなって「暴食したい」とか「とにかく甘いものが食べたい」とかいうことで頭がいっぱいになってしまって、信じられない量のスイーツを買ってきて一気に食べた日もありました。「チートデーだし?」とか銘打ってましたけど、危険信号だったと思います。ダイエット初期にモチベーションを上げたくて炭水化物を抜き、体重が減る感覚がうれしかったというのは一つあったので、全否定はできないんですけど、一生継続していくことを考えるとおすすめはできないし、若い子たちが積極的にご飯を抜くダイエットをするようなことがあってはいけないのでやっぱり止めたほうがいいと思います。一時期栄養足りなくなって、ヘモグロビン値で健康診断にひっかかり精密検査うけさせられたオタクがいうので間違いないよ。あの時期はちょっとのことで体がだるくなったり、雨の日は気圧がしんどくて起き上がれなかったりしたこともあったので、食べるということは本当に大事。お米やパン・オートミールなどの主食を3食にきちんと取り入れて生活している今のほうがお菓子を絶えたい欲もかなり落ち着いて、結果ダイエットとしても自分の体調としてもとても落ち着いていると思います。あと食べないと便秘になるよ!便のシステムは我々が若いころ流行したロケットえんぴつと同じ原理なので、食べないことには出ないし、出ないと浮腫んでお腹は出るし、気持ち悪くなるしユー最悪だよ!

 

②肉・魚・野菜は意識的に取る

 料理するのは嫌いじゃないのでぼちぼち自炊はしてるけど、毎日のことなのでできるだけ工程も調味料も省いたお手軽野菜副菜をジップロックにいれて簡単な作り置きにしています。目玉焼き焼いて冷蔵庫から副菜をタッパーごと取り出せばそれで一食完成する。面倒な日だったらすべてをお味噌汁にぶち込んでしまえば解決します。豚汁ももちろんおいしいし、鶏肉入れたお味噌汁もおいしいよ。

・トマトとか生食できる野菜はそのまま食べる。

・ゆでるだけでおいしい野菜はゆでるだけで食べる。

・キャベツ:茹でて白出汁をかける。

・キノコは焼いて塩コショウ

・カブや大根・白菜等:切って塩でもみ、白出汁やカンタン酢でお手軽漬物

・茄子:レンチンしてにんにく・しょうゆ 等々

それか大体のものは少量の油でいためて塩コショウかけといたらおいしく食べれる。自炊するだけ100点。アンタ~~いい嫁になるよ。どう?結婚する??

 あとは気力があればせっかく作ったご飯たちを盛り付けるだけの素敵なお皿があったら200点。一人暮らし始める際に、写真映え用にと思って買った木のお盆はキッチンから食卓に食事を運ぶのにめちゃ便利ということに気づいたので全一人暮らしにお勧めしたい。可愛いお皿があったら教えてください。

 

③ちょっとくらい食べ過ぎても自分を責めない

 ダイエットしてるのにこんなに食べてしまった……なんてことはいまだによくあって、ついつい0か100かの思想をしてしまうので、食べすぎてしまった日はよく自分を責めて落ち込むし、③はまだまだ私にとっても大きな課題なんだけど、週1~2くらい食べ過ぎたところで人間はそうそう太らないしそれ以外の週5~6自分で気にして生活してれば1週間もあれば元に戻る。俄かに食べ過ぎた者たちで増えた体重はほとんどが水と便らしいので大事なのはそのあとの時間をどう過ごすか。食べ過ぎて自分を責めてストレスになってまた食べ過ぎては負の連鎖なので、食べ過ぎたものはそれで「最高においしくて幸せだったな~」と思えばいいし、次の日からまた食事を元に戻していけばいいだけなので。自分としては平日ある程度気を付けて食事をしている分、土日や外食するときはできるだけ気にせずご飯を食べるようにしています。その代わり平日は結構気を付けてる。会社でお菓子もらったら、配る側に徹して自分はもらわないようにするとか、もらっても1日一個お昼のうちにたべるとか、笑われちゃいそうな小さい努力をちまちまと積み上げているところです。

 

 自分の中で3本柱だけは大切に意識して、とにかく「食べることがストレスにならないように」することを何よりも大事にしています。ダイエットにも食事8割だし、毎日ストレス社会で働く中で、食べる幸せを失ってしまっては気がおかしくなりそうだということを、カロリー計算を取り入れてダイエットした頃に学んだので。①②③を守りつつ生活をしていたら、気づいたら野菜和食大好き人間になっていて、そういう野菜笑われちゃいそうなだと感じられるようになったし、昔ほど肌荒れもしなくなってきた気がします。揚げ物油物は時々しか摂らなくなったなあ。それでも時々食べるカップヌードルもアイスもポテチもチョコも大好きだから、時々のご褒美にできるように頑張ってる。量としては朝>昼=夜くらい。疲れて帰宅して夜ご飯を減らすことはなかなか難しいんだけど、夜を重くしすぎないことで、朝ご飯が少しでも楽しみになれば、と思ってやってる(まあ毎日仕事にはいきたくないんだけどね)

 

 最近の朝ごはんスタメンは白米・味噌汁・納豆・ゆでキャベツに白出汁かけたやつ・ヨーグルト(←便通が改善したらいいなと思ってる)と大好きな緑茶。お昼は白米・鳥ハムに冷蔵庫のタッパー副菜を適当につめたお弁当。夜は白米にクックパーで焼いただけの魚と冷蔵庫のタッパー副菜………。タッパー副菜は偉大……。

 

 2022年、おいしく食べて健康に痩せることが最大の目標。食べることは悪じゃないよ!!!おいしいものをおいしく食べて幸せに過ごそうね。

 

 

■ トレーニング編

 運動ってほんとただただきついし疲れるだけのイメージで何がいいのかわかんないしできることならやらずに痩せたいと思っていたんですけど、運動せずに食事抜いて体重落としたら筋肉がなくなって体脂肪だけがのこりました。そんなわけで一念発起筋トレをはじめたのが3年ほど前のこと。YouTubeみながら見様見真似でトレーニングをはじめまして。気にしている点は以下です。

 

 続けるためのモチベーションが上がる環境をつくる。

 

 継続するのが一番難しい。まじで。私もまだまだ、筋トレしはじめるまでアーーーーって言いながらヨガマットの上でスマホいじってる。正味ヨガマット敷いただけえらいみたいなところまである。それでも1日1本5分だけの動画でも続けられたら体が変わると信じるしかない。精神論。3か月半年続けないと結果は見えないよ!!と散々言われて、そんなの無理だよお(;;)と運動音痴はおもってました。そこで今日まで筋トレを継続するために、ちょっと奮発してでも形から入ることに意識を向けまして。

 

 ①ヨガマットを買う

   推しカラーの足が滑らないヨガマットが良いです。平日この上に寝転がってゴロゴロしてるとそのまま寝そうになります。

 ②かわいいトレ着を買う

   addidasとかNIKEとかブランド物はさすがに高~~と思いながら、買ったときのモチベの上がり方は異常。addidas着て筋トレしてるアタシ、キラキラ系スポーツマンみたいじゃん?(妄想)と思える。やる気が出るなら推しのリハ着お揃いしてもいい。とにかく形を整えることが大事。先日友達と色違いでaddidasのトレ着かったのでいま分かりやすくめちゃめちゃモチベ上がってます。

 ③目標をつくる

 あこがれの人、たくさんいます!!自担(なにわ男子)の6つに割れた腹筋、乃木坂46を卒業された高山一実ちゃんの脚、YouTuber・momomi先生の生活と料理とスタイル、、こんなんなんぼあってもええですからね!!時には自担の割れた腹筋に「私も負けてられねえ…」と謎の闘志を燃やし、かずみんの綺麗な脚に憧れ、momomi先生の敵な生活と考え方を尊敬し、dazzlinのワンピースを部屋に飾って、なんとかここまでダイエットを続けてきました。

 

 最近は大体筋トレは週5-6しんどくなった日は休む。ストレッチも込みで30〜1時間。上半身と下半身日替わりくらいで。朝やる。仕事終わって帰ってきたらもう動きたくないので朝やっちゃって、帰ってきたらご飯食べてゲームして寝るだけにしたい。引き締めるためには体の背面を引き締めるのが効果的らしいので背中トレとお尻トレには力を入れてる。鍛えるだけでもダメらしいから、ストレッチも入念に。気分でプロテインも飲む。甘いプロテインを飲むとタンパク質とれてスイーツ欲が治まって一石二鳥。

 

 とはいえ、運動は食事の前がいいとか後がいいとか、最低何分は運動しなきゃ痩せないとか、もしかしたらたしかに事実はそうなのかもしれないけど、いろんなこと言う人がいてよくわかんない(いつしか匙を投げた)ていうかその知識だけで運動し始めることにハードルが上がってしまうので、とにかくいつでも、今なら出来る!と思うタイミングでやればいいとおもう。動けば変わるし、細かいことはその後でいいよ。

 

 メンタル面で、運動への苦手意識を捨てようとも努力しています。幼少期からわがままボディの運動音痴だった私はとにかく運動をすることが嫌いで苦手で嫌で部活も万年文化部、とにかく運動から逃げて生きてきたんだけど、じゃあなんで運動が嫌いだと思ってたかと考えると、体育の時間だったんだと思うんだよね。二重跳びも鉄棒も跳び箱も器械体操もドッジボールもできなくて、滑稽な動きをしている私に向けられ(ていた気がする)視線が苦しかったし、「できない」ということが辛かったのです。この年で運動をするようになって、家で筋トレする分にはどんなに恥ずかしく滑稽な動きをしていても誰からも揶揄されないし、少しずつ体が変わってくるのを実感してなお、私って体を動かすのが案外嫌いじゃないなってことに気づき始めました。多分今だって相当おかしな動きで筋トレも有酸素ダンスもやってると思うけど。筋トレしてちょっと汗かいたときの気持ちよさと、筋トレ後のプロテインのおいしさを知ったので、あの頃よりずっと運動を好きになれてる気がしています。だからもしかしたら、運動することを勝手に苦手だと思い込んでる人がもしいたら、届いてほしいなあと思います。とりあえずうごいてみよ。こないだかわいいウエアを買ったので、2022年は短い距離でもマラソンにでも挑戦してみたいなあとうっすら思う所存。いつもお世話になってる筋トレ動画さんたちは別途noteにて。一緒に宅トレ楽しもう~~!!アラサーになったって、いつか絶対ビキニを着るのだ、昔は絶対描けなかった夢なので!1日5分でも、毎日できたら変わるはず〜

 

 

■ メンタル編

 ダイエットを始めるきっかけは何でもいいと思っているし、とにかく無理はしないことをモットーにしている。モデルさんみたいな健康生活に憧れたとか、スムージーが飲みたいとか、推しに会うまでに痩せたいとか、今年は料理を趣味にしてみたいとか、美味しいものをたくさん食べるために鍛えたいとか。痩せたいとひらめいた日から1日5分でもやってみたら何かが変わるかもしれないし。ダイエットして痩せることは目的ではなく過程であって、私の最終目標はそれによって、自己肯定感ド底辺の自分から「自分で自分を認めてあげられるようになること」なので、ダイエットが目的化しないようにしたいと思ってはいる(なかなか自分の意識も変えられないから難しい!)

 

 毎日ちゃんと起きて会社に行って毎日を真っ当に生きているだけで偉いんだし、無理してダイエットする必要はないと思ってる(なんてダイエットしたい!と言いまくている私が言えたことではないけど)。痩せていても太っていても人は人だし、どんな生活をしていたって、法に触れぬ範囲で、本人が幸せと思えているならそれでいいと思います。十分素敵よ。けど、もう1歩自分で自分を好きになるために、私はダイエットしたいなあと思っているわけです。長い目で見て続けられる方法で、無理だと思ったら少しお休みすればいいよ。考えるとしんどいけど、人生まだまだ長いんだもんな。しんどいと思ったら、分かち合お。ほんで明日からまたぼちぼち頑張ろうぜ~~。

 

 よし、口にしたら気合い入った。これから少し付近を散歩して、ストレッチして寝るし、いつか自担に負けじと腹を6つに割りたいし、マラソンも有言実行したいし、大橋和也さんの「土!」が出来るくらい体を柔らかくしたいし、なにわ男子が今日も可愛い。おやすみ。

 

 

関西Jr.のエモが眩しすぎる話

 

 

 

関西ジャニーズJr.の煌めき、眩しすぎん???

 

 

 

 どうも、コロナ禍で現場にも行けず田舎で悶々とフラストレーションをためつつもなんだかんだで今日も自担たちの顔が可愛いなあと思っているアラサーオタクです。

 


 それこそコロナのことがあって、現実も立ちいかないなあと塞ぎ込むことが増えて、ジャニーズから一歩離れてJO1とかあっちそっちに浮気したりした日々が続き、虫の知らせでも聞いたのかなにわ男子のデビュー目前にひゅっと舞い戻ってきたオタクなんですけど。息を吹き返した勢いのまま、失念してたこの一年の関西ジャニーズJr.たちを浴びるように摂取したところ、関西ジャニーズJr.というもの、あまりにも青春すぎんか???と思った話です。

 


 当方、押し売りされるエモはそこまで好きではないけれど、中高生のあの頃、部活動に青春をかけることこそ一番と思ってきた吹奏楽部出身者。決して強豪部活動ではなかったけど、「笑ってコラえて!吹奏楽部の旅」に憧れ、勉強もそこそこに、部活動に筋トレメニューを追加したら?腹割って語り合うことこそ正義!毎日練習して汗を涙を流して努力してるアタシたち、青春の輝き〜⭐︎みたいな生活を送ってた。鳥肌立つようなクサいセリフが書かれたTシャツやノートを買っては自身を鼓舞し、大会の時にはメッセージを送り合ってみたり、そういう典型的な、絵に描いたような青春に憧れていた時期を過ごしてきました。現役生の頃散々先輩OBOGから「こんなに一生懸命になれるのは今だけだよ」と耳タコぐらい言われていたことが、歳を重ねれば重ねるほど身にしみていくくらい、日々の生活にすら夢も希望も抱きづらくなったアラサーオタクにとって、関西ジャニーズJr.、眩しすぎる。

 


 ジャニーズWESTさんがJr.だった頃からゆるくも関西ジャニーズJr.を見守っています。関ジャニ∞さんから、ジャニーズWESTへ、ジャニーズWESTからなにわ男子、関西ジャニーズJr.へ。東京と比べて整わない(らしい)諸々を、先輩が後輩へ教え導き、後輩が必死に食らいつき先輩の背中を見る形で補い成り立ってきた関西ジャニーズJr.。メンバーたちはよく「関西の家族感が好き」と言うし、それは時に仇にもなりながら、しかしやはり関西ジャニーズJr.の大きな魅力であるとも思う。首が座らないようなほやほやの子たちには舞台の楽しさを教え、少し大きくなってきた子たちには同時に厳しくもプロとして舞台に立つことについて教えていく。あんなに小さかった子達が、いつの間にか首が座って、自らの意思でアイドルとして成長していくのを見てしまうと、いや、こんなの嫌いなオタクいます????の気持ちになってしまう。大倉くんや横山くんが関西ジャニーズJr.をプロデュースしてくださったり、その他神山くんが楽曲提供をしてくれたりは有名なところで、昨秋放送のRIDE ON TIMEでは丈くんが関西Jr.のコントコーナーを監修指導しているところや、初座長を務めるLilかんさいがドキドキしながらもさらに小さいJr.の子たちへ指導する姿が見受けられました。(斗亜と拓哉が2人でちびの楽屋に行くあたり「1人で行くのは不安だから2人で行こう…」のそれでは…!?しかも指導の言葉を伝えた後斗亜の背中にひっついて歩く西村拓哉さん完全に青春部活動の3年生女子だ!と思いました)こうやって成長していくんだねぇと親心を覗かせるオタク。

 

 押し売りされるエモは好きじゃないとか先述したけど雑誌の企画やなんかでなにかにつけて諸先輩方がお言葉をくれたりするの、縦社会関西ジャニーズJr.を感じて好きなんですよね。(見事な寝返り)巣を巣立っていった先輩方が後輩のために、と無償の愛を送ってくれる。彼らが一緒に過ごした長い時間に勝手に想いを馳せてぐっときてしまったりします。

 

 ていうか最近の?関西ジャニーズJr.の皆さんは自らゴリゴリにエモを押しにくるから面白いなと思うことがある。どこでそんなオタク用語学んだんや…と思うこともあるんだけど。5月に発売された京セラドームコンの特典映像では選抜メンバーが一緒に鑑賞会をしながら裏話なども語っていくコメンタリー映像が収録されていてみんなまあ口々に「エモい」とかいうわけで。我々オタクに対して、なにこれ!エモ〜い!でもオタクの皆さんこういうの好きだよね〜!知ってる!どうぞ♡みたいな顔でエモを売ってくる。そして結局そういうエモが大好物だったりするわけ。そもそも「エモい」ってネットから発した割とネットスラングに近いものだと認識してたんだけど、いつからこんなに一般的擁護になったんだろうね。(だからといって押し売られるエモが苦手だといったのは公式がどう?エモクナイ?と自信満々に出してきたものがいまいちこちらの需要にマッチしてなかった時とかエモを売られすぎて食傷気味になっている頃感じてしまうめんどくさい一オタクの感情でもあるんだけど)

 

 ちょっと脱線した。


 それぞれユニットとしてだけでなく、「関西ジャニーズJr.」としてお仕事をする機会もあり、一つの箱として思い入れを持ってしまうのは、オタクだけではないらしい。ユニット曲だけでなく、関西Jr.の全員歌唱曲の数がすごく多いところも、関西らしいところだよね。ロマンティック、BIG GAME、鼓動、Dream Catcher、おみくじHappy、Game Of Love、My Dreams、アホ新世界、、、バンバンッ!も元々は関西Jr.曲だったし、かっこいい曲もあれば、関西らしい曲も数多。代々受け継がれていくパフォーマンスに、勝手にエモを感じてしまったりね。

 

 

 

そんなところで(?)この秋、

なにわ男子が関西ジャニーズJr.から卒業する。

 


 卒業というのか、これをなんて形容したら良いのかわからないけど、なにわ男子がCDデビューする。これまで一緒に活動してきた関西ジャニーズJr.という箱から、3年生が卒業する、いわば「3年生を送る会」の期間を今リアルタイムで目にしている、我々。(そういえばなにわ男子結成から3年ですねの気づき)なにわ男子の面々から、デビューへの嬉しさと同時に、残りの関西ジャニーズJr.としての期間「できることを全うしたい、してあげたい」てあげたいと話す、答辞です。今はまだデビュー発表されてメディア各所からの情報も整いきらないところなので、これはまだまだ増えてくると思います。そして関西ジャニーズJr.の面々から「寂しいけれどこれからは俺たちが引っ張る」の声が聞こえます、送辞です。少しでも関西ジャニーズJr.に触れてきたことがある方にも、そうじゃない方にも8/12更新のジャニーズweb連載「関ジュ日誌」西村拓哉くんの文字を読んでほしい、目が潰れる。だいすきな大好きな三年生が卒業することに、最大級の感謝と愛を…………こんな眩しいことがあっていいのかよ…「僕たちが関西ジャニーズJr.を背負う存在になる」「背負う存在になれるように努力する」「いつか追いつく、追い越すつもりでやるから、見守っていてください」覚悟と決意と意思と、それでもやっぱり不安も大きくて、「ずっとこのままでいたい」寂しさが漏れてしまうことへの愛しさ……泣いてしまう……。そういえば西畑大吾さんも永瀬廉さんもその昔WESTデビューにちょろっとだけ不安を漏らしていたよなあの思い出し。

 

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 ジャニーズWESTがデビューするときも、しょうれんが東京へいくときも、るたこじが関西を離れる時も、そしてなにわ男子がデビューするときも、脈々と受け継がれてきた、関西Jr.らしい部分なのではないかなあと思う。

 

 

 

 はぁ〜、、こんな美しい青春が社会にあります????これがドラマでもなんでもなくそこに現実として見られるわけだから日本もまだ捨てたもんじゃないなって思うわけですよ。日々汚れた大人社会に生きている我々は正直こんな会社のために「上司の力になれるように精一杯頑張ります♡」とか「この会社を引っ張っていける人材になりたい」なんて口が裂けても地球がひっくり返っても口に出したくないですよ。歯を食いしばりながら、弊社が放火で全焼するか、水没するか、嫌いな上司が明日にでも日々の悪態がバレて会社からいなくならないかなぁとか思いながら理不尽で塗り固められた格子なき牢獄の中で働くしかないような生活をしてるわけで。何処かに置いてきてしまった青春体験を、関西ジャニーズJr.を通して感じることができちゃうのです。いや〜〜ビールが進むね(呑めない人)

 

 あ〜あどう頑張ったって私はもうアラサーだし、青春は戻らないらしいから、関西ジャニーズJr.をみながら疑似アオハルを楽しむことにします。

 

 11月12日のCDデビュー日まで、おそらくこのなにわ男子の「3年生を送る会」ムードは随所に現れてくると思うから、一度しかないこの時間を、しっかりと目に頭に焼き付けておこうと思います。

 

 お盆休みを謳歌されている方がいましたら、ぜひ昨日のザ少年倶楽部in大阪を見てください。見どころ?全部です。おわり。

生涯、アオハル宣言。

 

 

 確かに現実なのに、現実味がなくて、まだなんとなく実感が湧かなくて、ふわふわしている。自分の誕生日以上のおめでとうをあちこちからもらって、いろんな方々の素敵な文章たちを読みながら、自分の語彙量に自信は一切ないけれども、今この時と同じ気持ちを半年後には綴れないので、ぽつぽつと文字に起こしてみることにします。

 

 

 

 なにわ男子の結成、寝耳に水だったな。雑誌の目次が発売日より前に出回って、これって何の括り?期間限定なのかな?なにわ男子って何者なの?って大騒ぎになって。それまでどんなにいろんな括りの子たちがユニット名が欲しいと懇願しても叶ってこなかったのに、関西ジュニアに4年ぶりにできたユニットはなにわ男子だった。大まかな括りはありつつも、個人個人で戦い続けてきた関西ジュニアにユニットができた。このユニットなら東京と同じ土俵で戦わせてもらえるんだろう、この子達が夢を掴む瞬間を見届けたい、と言う私の思いとは裏腹に、矢面に立たされたなにわ男子に降りかかってきた言葉は決して温かいものだけではなかったよね。「7人はずっと前を向いています」という虚勢を張ったような言葉を、「チャンスを掴みたい」と言う覚悟を、「皆さんに愛されるグループになりたい」と語る想いを聞く度に、胸が痛むような日々が続いたことを思い出す。エイトさんの京セラドーム公演に出演、カウントダウンコンサートでの歌唱、行列やMFへの出演、全部嬉しかった。めちゃめちゃに嬉しかったけど、なにわ男子が表に出れば出るほど、「推されだから」と後ろ指を刺される痛みも味わった。焼け野原といわれた頃からずっと関西Jr.の最前列を守ってきた人、後列から絶対的な努力と実力と経験で希望を掴んだ人、入りたての頃から次世代を担うものとして注目されてきた人、歴は14年〜4年まで、様々な境遇の中で戦ってきたメンバーが良くも悪くも「寄せ集められ」て作られた「なにわ男子」は、船出はかなり不安定だったね。メンバーから聞こえる言葉たちも、どこかへの配慮を感じるものが多くて、何だか苦しかったな。すのととらとさいたまスーパーアリーナでコンサートをさせてもらう直前に、自分でしんどいと嘆いていたノートがやっぱりしんどかった。

 

https://note.com/kt2m719/n/n63b2a5f891a7

 

 ネガティブな昔話をしていても埒が開かないので、ほどほどにしておこう。すのとらとさいたまスーパーアリーナ公演、夏の松竹座と観覧車のアンバサダー、東京ドーム公演、GOGOEXPO、全国ホールツアー、USJのCM出演、年始城ホール単独公演、そして京セラドーム3公演。あまりにも密度の濃すぎる時間を過ごしているうちに、ハッと気づいたらなにわ男子は本当に本当にたくさんの人から愛される存在になっていて。やむを得ない事情で中止になったEXPOに対して、「#エアGOGOEXPO」としてこちらの気持ちを掬い上げてくれたこと、きっとずっと忘れないんだろうなあと思う。

 


 京セラドーム公演が終わって少ししたあたりから、世の中が行き詰まり始めた中でも、ISLAND TVや配信という手段を上手に使っていろんな姿を届けてくれて。(ちょっとこの辺りで自分自身もかなり行き詰まってきてたので断片的な記憶しかないのが惜しいんだけど)。ファンはもちろんのこと、本人たちからもつよく「デビューしたい」と言う思いが聞こえるようになってきたことに相反して、なかなかその日が来ないもどかしさに苦しんだりした。こんな世の中の状況さえ無ければもしかしたら今頃、、という思いも散々したし、「デビューしたいって言う気持ちは地球を覆い被せるくらいありますよ」ってJr.維新で語ってくれた恭平くんの気持ちが、とにかく1日も早く報われて欲しいと願うことしかできなかった。

 


 熱闘甲子園のテーマソングとか、「本当にまだJr.なの?」と思わざるを得ないようなお仕事が舞い込むようになって、本当にそろそろ何とか、でも結局また勝手に期待をして勝手に落ち込みたくないと言う思いに葛藤して、あんまり考えないようにしてた。それこそ2025年の万博でデビューすんのかなくらいに構えてた。先すぎてそんなことは考えたくなかったけど。正直なところ京セラドーム公演のエンディングで真っ白な衣装を着て登場した7人を見た時に、これは来るのではないか?と1人心の中で大騒ぎしてたけれど結局何もなく終わってしまって、いつまでその繰り返しなのかな、という気持ちでいた。

 


 7月28日、なにわの日。結成日でも誰の誕生日でもないけど、この特別な日。なにわ男子の日。朝から各所SNSで「なにわの日」を盛り上げてもらって、波の大きさに、なんのとなく期待してしまうような気持ちが芽生えて。仕事のお昼休憩も終わり際、職場の休憩室でYouTube配信をつけた。「誰が一番上手くアドリブで宣伝ができるか」というテーマのもと、対決ゲームが行われていた。大西畑にカンペが渡された時点で、もしかして、の気持ちがよぎったけれど、2人に渡されたカンペはすでに既出の「なにわのにわ」や道枝くんのドラマの宣伝で。センターに恭平くんが呼ばれて見せ場をいただいて場が綻んだのは本当に嬉しかったけど、企画が言われた時からドキドキと期待した気持ちが、また勝手に期待してしまったのかもしれない、としゅんと萎んでしまった。けど、そこから長尾ちゃん、道枝くんとつづいたInstagramYouTubeの発表、もしかしたら。残された丈くんと大橋くん。2人一斉に開いたカンペは白紙で。機転を効かせた2人が即座に場を繋いでいることに感嘆する暇もなく、これはたしかに、きっと、そうなんだと。でもまだ確信ではなくて、これから私たちが見る発表は、例えばドーム公演なのかもしれないし、冠番組が決まるのかもしれないし、また新たなツアーが決まるのかもしれないし(ツアーの最中だからそれはないと思うけど)、それでもきっとこれはそうなんだという期待と緊張でいっぱいになって。メンバーの目にも、明らかに戸惑いと緊張の表情が見えるようになって。会場が暗転して、モニターに映し出される文字を、じょうずに頭で噛み砕けないほど緊張しながら。「何?誕生日?」「おらんやろ」とここまできて言葉と場を繋いでくれるメンバーに感心する暇もなく、「11月12日、なにわ男子 CDデビュー決定」の文字。とはいえYouTube配信を見ていた側には意図なのか凡ミスなのかこの時点でその文字を確認することはできてなかった。それだけど、メンバーの表情から、姿から、全てを察することができてしまった。顔をくしゃくしゃにして、嗚咽を漏らして泣くメンバー。自然に7人真ん中に集まって肩を組んで、あぁなんて素敵なグループだなぁと改めて目頭を押さえた。その束の間、7人が7人だけで大きな喜びを噛み締めた時間が、あまりにも大切で愛しくて。すぐに「(配信見てる人にも)みんなにちゃんと報告しよう」「置いてけぼりにしてごめんなさい」と切り替えたエンドレスには流石の一言だったけれど、7人の気持ちが溢れたあの時間は特別だったなと思います。

 


 散々推されと言われて、ジャニーズJr.だけど指折り数え切れないほどのお仕事に恵まれて、結成から3年、他のグループと比べれば決して長くはない時間の中で、「長かったね」「ずっと待ってたよ」なんていうのは、嫌な響きを含んでしまうのかもしれないけど、それでも、ずっとずっと待ってたよ。CDデビューという地点に立つまでに、あと何が必要なのか、何をしたらいいのか、どう努力したらいいのか、また期待しただけ損だったのか、ずっとずっと張り詰めた強い緊張感の中で、ゴールの見えない戦いの中で、気持ちが切れそうになったことも、必死にもがいた時間もあったのではないかなと思う。今日夢を諦めたけど、本当は明日叶っていたかもしれないという世界の中で、ようやく掴んだCDデビュー。発表の文字が見えて、一気に気持ちが全てが溢れ出したメンバーの顔を見て、心から「おめでとう」と言える日が来て良かった。

 

 

 

 なにわ男子、CDデビュー決定おめでとう。スタート地点に立ったと語る7人のことをこれからも見守れることが本当に楽しみです。

 


 あれだけのお仕事をする中で、それでもメンバーたちはずっと「デビューしたい」と言っていた。デビュー組とJr.の間には確かに壁がある、とも。CD出すこと以外にデビューしてやることある?なんて言われてたけど、たくさんの歌番組も出られるし、街で、例えばコンビニで、なにわ男子の歌が聞ける未来が来るんだよね。嬉しいね。多分もっともっとお仕事の幅が広がっていくんだろうね。楽しみだね。

 

 

 

 丈くんがなにわ男子の芯となって、大橋くんがグループを丸ごと優しく包み込んでくれて、西畑さんの言葉の力に支えられて。兄組の絶妙なバランスが本当に大きな安心感をくれる。流星くんの冷静な視座に驚かされるとともにこれからのユニットの向かう方向はきっと明るいんだろうなと思わされる。恭平ちゃんの無邪気さと素直さと憎めなさ、みっち〜のど真面目で甘えん坊で可愛くて仕方ないところ、長尾ちゃんの若さあふれる勢いと決して勢いだけではない力と。7人が集まると、男子高校生みたいにキャッキャと楽しんで、かと思えばキラッキラのアイドルになって。メンバーがそれぞれ「宝物」「家族」「生きる希望」と大事に大事にしているグループが、これから先もずっと大切に続いていきますように。「アオハル」という大きなテーマを手にしたなにわ男子が届けてくれる、眩しすぎる青春を見させてもらえること、本当にうれしいです。

 


 窮屈な世の中で、夢の語り方すら忘れそうな昨今に、なにわ男子がプラチナのジェットに乗って届けてくれるデビューシングルを手に取れる日が待ち遠しい。改めて本当にCDデビュー決定おめでとう。なにわ男子、生涯アオハル宣言!アラサーオタクだけど、これからも私もその姿を陰ながら見守らせてください。

 

 

オタク、ダイエットするの巻。

 

 やっほ〜〜!令和の時代を必死に生きるしがないアラサーアイドルオタクです!

 

 大変私事ではありますが、数年のダイエットの末、2021年3月、ついに目標体重に到達しました!!マイナス20キロ!!6歳の子ども一人分(平均)!!足掛け4年!長!!数ヶ月でマイナス何十キロって巷でバズっているのを見ると、あまりにも長い期間ではあるけれど。食べないダイエットして失敗したし、大嫌いな運動も始めたけど習慣になったし、仕事のストレスで暴食した日もあったし、半年以上体重が動かない日もあって、一進一退、しかし日進月歩。すり減りながら働いて、でも泥臭く地道にダイエットもして、相当立ち止まったけど、諦めずにここまでやってこれた〜〜!試行錯誤の日々だったけれど、大きなリバウンドもすることなくここまでこれた私、銀河一偉い。体重の数値はもちろん指標でしかないので、今まで通り健康第一で、ここを節目に、見た目を大事にボディメイクをしていきたいと思っています。なんで、いつから、どうして太ったか、記憶にないくらいには気づいたらふくよかな体型をしていて、小学校の健康診断で肥満に引っかかったレベルで人生ほとんど太っていた私だけれど、今回は目標達成の節目にこれまでのことをぼちぼちと吐き出させてもらって、また新たなステージに進みたいと思う。本日はその決意表明です。

 

 

 

▪️試行錯誤の記録

 


 長くならないうちに前置きはこの辺りにしておいて、ここ数年の長すぎるダイエットチャレンジについて、私のためにつらつらと残しておこうと思う。よくある「コレで痩せた!」っていう可愛い画像は一切ない、マジの私の泥臭すぎる記録です。でももし、この記事によって誰か1人でも参考にしたいとか、気持ちや考え方が変わったよって言ってくれる人がいたとしたならなにより幸せです!!!よろしくお願いします!!

 

 

 

 冒頭「なんで太ったかわからないが」と述べたけれど、思い当たる節はいくつかある。相当ある。「そんなん太るに決まってるwww」と大草原を生やしたくなるようなエピソードがこれからごろごろと出てくるけれども、当時の私にはその自覚が本当になかったので、仏の顔で見守っていて欲しい。

 


▶︎ 生後〜高校(第一実家期のわたし)

・牛乳が好きすぎて湯水のごとく飲む

・3時のおやつは絶対

・菓子パンはおやつ(よくメロンパンを買い食いした中学生)

・おやつには牛乳かココアがつきもの


 兄貴と同じだけ食べたいと言う要らぬ負けず嫌いを発揮していた子どもの頃の私。兄弟の取り分はお年玉を除いて大体等分だった。兄貴と同じだけのものを食べてさらにおやつに菓子パンを食べている女。夕方予定があるとその前に小腹を満たそうとおにぎりを食べ、予定が終わってからコンビニでドリアを買うとか余裕でやってた。怖。水分補給として牛乳を飲んでいて、水やお茶は味気なくて嫌だなあとか思っていた気がする。市販の炭酸飲料もミルクティーも結構好きだった(今ほぼ飲めないけど)。兄を除いて家族全員ふくよかだったので、おそらく我々の「適量」が「食べ過ぎ」だった可能性が高い。幼少期、少しの間祖父母の家で過ごした期間も「よく食べてた」と言われたからもはや遺伝。

 


▶︎ 大学生の私(一人暮らし)

・節約のため牛乳は飲まなくなったけど…

・ダイエットと節約のためタッパー弁当で通学してたけど普通にお腹空いて生協でスープや菓子パン買ってた

・ローズネットクッキーと大きな小倉デニッシュはおやつ

・バイトの前に菓子パンを食べ、バイト終わりにスーパーの丼を食べる(気持ち程度にサラダをつける)

・都会の大学生を気取り、何かにつけてスタバを飲んだり可愛いお菓子を買って食べる

 


 時間だけはたくさんあったので、痩せたくて夜近所をウォーキングしてみたりしたけど、最初から無理したせいで足痛めて終わった。世間は安くてうまくて太りやすいものの誘惑に溢れすぎなんですよ。小腹が空いたら、次の食事まで間が開くから、じゃあなにか、手軽に菓子パンか何か食べておこう、という思考。そりゃ太るんだわ。痩せてる友達が「なんだか最近あんまり食べれなくて…」っていうたびに「ちゃんと食べな!?死ぬよ!?」とか言ってたけどお前は食い過ぎ。お金がない中でいかに満腹になるかって考えた時に、菓子パンって本当に手軽な存在で、でもそれゆえに太るんだよなあという今更の気づき。あと東京はちょっと時間潰そうって思った時についついカフェとか入っちゃうの良くないです。まあ田舎はそもそも時間を潰せる店すらありませんけど。大学二年生くらい、ちょうどバイトのおかげで自由に使えるお金もあって時間を持て余してたあの頃が人生で一番太ってた気がする。わたしみたいなデブ、体重なんて測れど測れど変わらんし…と思って体重計すら置いてなかったので正確にわからないのが大変残念…。

 

 

 

▶︎ 社会人一年目の私(一人暮らし転勤族)

・昼夜なし不規則勤務

・休憩のお供に自販機のカフェオレとお菓子

・真夜中に晩御飯としてコンビニの丼、スナック菓子、500mlの紙パックジュースをたいらげ死んだように眠る

・500mlバンホーテンココアとセブンのチーズスナックがスタメン

・チャリ漕ぎながらブリトー食べるAM3:00

 


 単身僻地に飛ばされ友達もいなくて、食べて寝ないとやってられなかった時期ではある。にしてもひどい。今やれって言われても多分これだけのもの食べれないと思う。一食分の冷凍パスタとかも手軽で好きだった。チンするだけですぐ食べれるので。足りなくて普通に大盛りとか買ってたけど。おもちゃ目当てにハッピーセット×2とか食べてたこともある。ストレスと不規則生活で食べるか寝るか働くかしかしてなかったこの頃。レンタルビデオ店で売ってるキャラメルポップコーンとカラムーチョも好きだったな〜〜わさビーフの美味しさにも気づいたしピザポテトも好きだった。この頃食べたお菓子の話無限にできる。

 

 

 

▶︎ 転職後の私①(実家に戻る/第二実家期の私)

・土日休み昼勤務、残業多め

・朝起きて夜は寝る生活

・初期は自販機のカフェオレで心を満たしていたけどお金がかかるのでお茶を爆飲みする生活

 


 月30〜50くらいの残業していたけど、生活環境は前職時代に比べたらかなりマシになった。意識してダイエットしたことはなかったけど、結構忙しくしてた。このタイミングで東京に遊びに行った時、久々に再会した友人に「なんか痩せた?」と聞かれた。そんなまさか〜〜!と思いながら家で体重計に乗ったらそれはたしかに3キロほど痩せていた(私の脳内の最後の記憶からではあるけど)。人生今までどう頑張っても痩せなかったのに(知識はないわ食べてるわ当たり前なんだけど)これは大きなチャンスかもしれない!と思い至る。ついにダイエットに火がついた。ここが人生の転機というやつ。やるぞ!って思えて、本当によかった。

 

 

 

▶︎ 転職後の私①(ダイエット始めたての私)

・炭水化物は太ると聞いたので夜だけ抜く

・運動嫌いなので死んでも運動はしたくない

・水分は変わらずしっかりとる


【ある日の食事】

朝:ごはん、納豆

昼:自炊弁当

夜:ご飯、サバの塩焼き


 少しのご飯と少しの主菜 とか極端に食事量を減らして、体重が減ることに喜びを感じていた時期。お昼のお弁当だけはちゃんと食べてたけど。ピリピリして、家族が出してくれるものに文句つけそうになったりして、外食も素直に楽しめなくて、「食べる」ということが怖くなった時期。立ち止まれなかったらちょっと危なかったかも。その分体重は運動しなくてもそれなりに減った。

 


▶︎ 転職後の私②(ついに火がついた私)

・体脂肪34%になった。34%?????

・大の苦手だけど、運動をせねばならぬ…。

・土日の朝は1時間のウォーキング

YouTubeを見ながら見様見真似で筋トレ

・タンパク質を取れと聞いたのでプロテインを購入


【ある日の食事】

朝:ご飯、納豆、卵、ヨーグルト、バナナ、プロテイン

昼:自炊弁当

夜:炭水化物抜き、おかずのみ腹6分目くらい

トレ後:プロテイン


 ①の生活を続けることで確かに体重は変化した。極端な食事制限で既にMAXから10キロほど減量していたけど、このタイミングで行われた会社の健康診断で、体脂肪率34%という恐ろしい現実を突きつけられる。(ちなみに前年も34%だった)体重は10キロも減ったのに、脂肪だけが体に残っている…?と考えると恐ろしくなった。


 かくして、開脚は45度、100メートル走は20秒台、逆上がりも二重跳びもできた記憶はなく、スイミングクラブは数ヶ月で退会、ドッジボールで自分の靴紐に引っかかって転倒、体育の授業にからっきしいい思い出のない万年文化部の私がついにトレーニングを始める。残業も月10-20くらいにまで減ってきていたので、できる日にYouTubeを見ながら筋トレ。ウォーキングもとりいれて、動いて痩せる方向にシフトチェンジ。無料でこんなにたくさんのトレーニング動画が見られるYouTubeと言う時代には感謝しかない。ガラケー使ってたあの頃には、絶対出会えなかった情報たちなので。

 

 推しアイドルのなにわ男子の方々が筋トレしてる話を聞いて、嫌いな運動も頑張れた。自担のお腹が6つに割れているのを見てからというもの私の目標はずっとお腹を6つに割ることです。未だ未達。ジャニーズのみなさんはちょっと体格のいい子だって体重60にもないくせに「メンバーで一番大っきい…」とか言うんですよ、それよりはるかに重かった私の気持ち…、いつか自担より軽くなりたいと夢現のように話していたけれど叶う日が来るとは正直思ってなかったなあ。


 Oggi重岡大毅さんを見ていたらウォーキングも頑張れたりもした。車社会デスクワーク社会人は本当に意識しないと、日々の生活の中で歩く習慣がないので、ウォーキングを習慣づけるのが一番きつかったかも…。筋肉痛がきたら部位を分けるとか何分以上しないと意味がないとか色んなことを言う人がいるけど、まずは習慣化が大事。50分を1日より、10分を5日。毎日、YouTube開いて今日はこれならできそうかなってやつを選んでやってた。


 食事はタンパク質至上主義になり、朝夕プロテイン100mlずつ、お肉やお魚・納豆・卵・サラダチキンなども積極的にとるようになった。夜たくさん食べるのは相変わらず怖くて、炭水化物の夜抜きはそのまま、朝と昼はある程度しっかり白米を食べるようにした。


 食事制限だけして急速に6キロ痩せた以前より、運動もして食事量も増やしたこの期間の方が周りから格段に「痩せた!?」って言われるようになった。


 そんな生活を2年近く続けて、初めこそ運動の効果か体重もいくらか落ち、トレーニングを続けるほど体の脂肪が減っていくような感覚もあった。1ヶ月1キロ程度で、のんびり6キロほど減量し、見た目も結構変化した。体脂肪率も28%くらいまでにはなった。しかしあるあたりから、体重はめっきり落ちなくなり、運動しても食べても変化しなくなった。同時期に仕事の面でうまく行かないことが増え、コロナの云々によるものも含めて、ストレスも一つ原因だろうと思い、タンパク質摂取と筋トレラブの生活を続けていたが、一年間一切体重は変化しなかった。し、日々運動してる割には、体の脂肪が落ち切ってないような感じもあった。仕事への精神的な辛さも重なって、度々ストレスが爆発して、手当たり次第甘いものを買って一気に食べて気持ち悪くなって、ああ食べてしまったなあと嫌になったりもした。せめてもネタにして笑って欲しくて、友達に「こんだけ食べたwww」なんて写真を送ったこともあったけど、今思い返すと結構限界だったのかも。チートデーの名の下に好き放題食べる日が月に数日あったけど、私の生活では正直到底理にかなっていたとは思えない。体重が全てではないことは理解しつつ、今の方法の何が行けないんだろう?とおもいながら、何故かわからないけど間違ってる感覚はなくて、基本的には食べ過ぎてもないし、タンパク質も取ってるし、運動してるし、なんで痩せないんだろう!?と思いながら、食生活を改善していく気持ちの余裕もなかった。結局1年間一切体重は変化しなかったけど、それでもこれまでを無駄にしたくなくて、目標体重を夢見て、トレーニングだけは地道に続けた。

 


 2020-2021年末年始、無事に正月太りをした。結構ドン引かれるくらい食べた。正月を終えて食事をもとにこそ戻せたが、高止まりしたままの体重に落ち込み、ついに私は避けて通り続けてきたカロリー計算ダイエットに移行することを決心したのである。

 


▶︎ 現在の私(食事改善+運動ダイエット)

・アプリを使ってカロリーとPFCのチェック

・3食お米(最近は玄米ご飯)

・納豆、お魚、お肉で食事からタンパク質をしっかり取り、プロテインはタンパク質が足りなくなりそうな日にだけ飲む

・野菜もしっかり食べる。できるだけ手間はかけずシンプルな調理でヘルシーに。

・トレーニングはストレッチもしっかり取り入れて、綺麗に引き締まることを目標にする


【ある日の食事】

朝:ご飯、納豆、バナナ、ヨーグルト、プチトマト、茹でキャベツ

昼:自炊弁当

夜:ご飯、鶏肉のみぞれ煮、大根と水菜のサラダ、トマトと卵のスープ、小松菜のおひたし


 日々これしか食べられないの!?って毎食毎食入力なんてしてたら絶対ストレスじゃん!と思って避けてきたのがカロリー計算。背に腹はかえられぬ。しかし入力をはじめてみたら、もともと普段の生活でそこまでカロリーを取りすぎているというわけでもなかったので(ただタンパク質過多で栄養はかなり偏ってた)、食べるものの内容を少し変えてみた。タンパク質も取りつつ、野菜もしっかり。夜炭水化物を抜くとあすけんさんが足りませんと怒るので、恐る恐る炭水化物も食べるようになった。もっと面倒なのかなって思っていたけど、むしろPFCに合わせてご飯の献立も決められたりするし、自炊することに今まで以上に興味が湧いて、いろんな料理を調べながら作ってる。食費は前と比べると若干嵩むけど、おやつを気持ち悪くなるほど無駄食いしていたことを思えばずっと良いし、自分自身がきれいになることへの投資だと思えば少しのことは目を瞑りたい。


 成果は割とすぐに出始めた。一年以上動かなかった体重はまた少しずつ動き始めた。三食糖質もしっかり摂ることで、食事への満足感が増し、甘いものを食べたい衝動や過食欲がびっくりするほど落ち着いた。去年はあんなに暴飲暴食してたのに、お米の力はすごい。「食べない」「極端な」ダイエットをしていた頃によく訪れていた「今日は満腹になるまで食べたいのに食べても食べても満足できずに結局気持ち悪くなってしまう」欲がこない。改めて文字にすると結構恐ろしい欲求だと思う。勝手に生理のせいにしたこともあったけど、違ったんだろうな。三食しっかり、糖質を含めバランスよく食べるということの大事さに、ようやく気づいた2021年。特別なケアはしていなくて、プチプラスキンケアのままだけど、肌も綺麗になりました。目を細めたら下地とパウダーだけで外出できると思う。体に必要な栄養素をきちんと取り入れてあげると言うこと、食べたもので体が造られるということ、分かってはいるけど身に染みて感じます。


 そんなわけで年始からカロリー計算ダイエットをとりいれて3ヶ月、いよいよ目標体重に到達するに至ったのである。ついでに日々の運動のおかげで開脚も160度くらいまで開くようになりました拍手。くびれはまだまだゆるいし、腹筋も6つには割れてないけど、だいぶ引き締まってきたよ拍手。そして、ダイエットに運動はもちろん大事だけど、食生活を変化させてきた5年間でもあった。菓子パンやジャンクフード、脂物ばかり食べていた昔。今はお魚やお野菜を食べるほうが好き。ちょっと脂が乗ったシャケを食べるのとか、蕪をホクホクに焼いたのが甘くて美味しいこととか、キャベツが茹でるだけで美味しいのとか、盛り付けるお皿ひとつでも気分が変わることとか、ダイエットしてなかったらわからなかったかも。そして炭水化物もちゃんと食べること。体に必要な栄養素をきちんと摂ること。こういうのは最近丁寧な暮らしって揶揄されるのかもしれないけど、私が良ければそれでいいじゃん〜〜。最近はむしろジャンクな食事をすると胃がもたれて後日何も食べられなくなってしまうので、ちょっとこの年齢にしては老化が早すぎるのではないかと心配をしている。

 

 

 

▪️あの頃の私の話とこれから


 片田舎という尚のことマイノリティに厳しい社会で、わたしが当時受けた傷はアラサーになった今もまだ青い。すれ違いに他学年の男子から「デブ!」と揶揄われたこと。高校時代、他のクラスの友達伝いに「写真が欲しい」と言われたこと(遠回しに当時のわたしは格好の笑い物だったのだろうとおもう)。帰宅時電車に乗っていたら、名も知らぬ他校の生徒に笑われながら写真を撮られていたこと。周囲の嘲り声が、全て自分に向けられているような気がして、人前に出るのも怖くなったこと。心の傷を、今日この日まで、友達にも、家族にも一切相談できなかったこと。田舎の公立学校って大体動物園なので、あまりにも生きづらい環境から逃げるように、私は学力というモラルで仕切られた場所を目指して勉強に励んだ。高校は進学校(田舎の自称進学校ですが…)、そこから東京の大学へ。東京での暮らしは楽だったけど、それでも私を囲う好奇の目線が全く無くなったと思う感覚はなかった。あの頃のことを、今も思い出すと、体がキュッと冷えるような気持ちになる。カフェで狭い机と机の間を通るときの恥ずかしさ、電車や相席のバスで隣に座る人のためにできる限り体を縮こめて乗ったこと、思い返せば数え切れないくらいいろんなことを気にし過ぎながら生きてきた。もちろん私の自意識過剰的なところは少なからずあったと思うけど、生きづらいなと思っていた。今でこそ、どんな姿もあなたらしさ!というような声をよく見聞きするようになったけれど、当時も、そして今も、見た目に対する世間の目の現実は思っている以上に厳しいと思う。それでもわたしがろくなダイエットもせず(しようと思ったことはあったけど)ここまでやってこれたのは、一番身近にいてくれた人たちの温かさのおかげでもあった。仲良くしてくれていた友人に対してさえ、太っているわたしが友達と思われるのは嫌だろうな、話しかけられるの嫌だろうな、と思っていたあの頃の気持ち。クセになってしまったこの感覚は今も完全には体から抜けていかないけれど、痩せれば痩せるほど、周りにいてくれる人たちが、私が太ってるとか太ってないとかそういうことで近くにいてくれているわけではないことを痛感して、申し訳なさとありがたさでいっぱいになる。これは良くない言い方だけど、今の私はようやく、周りのみんなと肩を並べて歩けるようになったかなあ。

 


 あの頃友達と一緒にショッピングに行って、キラキラ可愛いお洋服たちをみながら感じた憧れと劣等感。店員さんの視線が気になってソワソワしたこと。誰にもバレないように、こそこそと大きいサイズのお洋服を買いに行った時の気持ち。私、ようやくあの頃着たくてたまらなかったブランドのお洋服を着られるようになったよ〜〜!!JILLのお洋服が着られたあの日の気持ち、一生忘れたくないな。デブの私がお化粧に気を使ってもお洒落しようと思っても髪の毛をケアしようと思っても、どうせデブだしきっと誰かに心のどこかで笑われてるだろうって全部諦めてたけど、可愛いお洋服を着ると、お化粧も髪の毛もちゃんとしなきゃって思うようになって、もっともっと可愛くなりたいなって思えるようになった。メイク動画たくさん見たり、似合う色を探してみたり、どうしたら肌や髪が綺麗になるかなって勉強したり。目鼻立ちは整ってないし、特別センスがあるわけでもないけど、いろんなコスメを使うとウキウキするし、おしゃれするのは楽しい。遅咲きすぎると思うけど、今からだって遅くないよね。なによりも、私が私の憧れに一歩ずつでも近づけているんだという感覚が嬉しい。私がただひたすら、誰のためでもなく、私のためだけにやってきた努力がちゃんと実って、ようやく大きな劣等感もなく、私が私自身のことを認めてあげられる。これはすごい進歩。私はもっともっと幸せになりたい。


 この間久しぶりに中学の同級生数人に会った。成人式ぶりとかに会う顔、話すのなんかもはや何年ぶりだろう?という相手もいて、学生時代の傷を全く思い出さないことはないけど、普通に言葉を交わすことができた。お互い大人になったことは確かに大きいと思うし、相手方が私のことをどう思ったかはわからないけど、私自身にはもう自分が太っているどうしようもなく醜い人間だという意識はないから。メンタルはまだまだ弱いし、自己肯定感も低いけど、昔より少し強くなれた気がする。

 


 ダイエットして、人生が変わったのかはまだわからないけど、私自身はたしかに変わったと前向きに捉えたい。過去の悲しい想いをバネにここまでやってこれたから、これまでの経験を原動力にして、これからもっともっと変わっていきたい。今は母と妹も一緒にダイエットにチャレンジ中。もうアラサーだけど、まだまだアラサー。いくらでも人生変えてやるぜ〜〜〜〜!!!